大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和63年(ワ)4016号 判決 1990年7月18日

原告

甲野

右訴訟代理人弁護士

池田達郎

被告

乙川

右訴訟代理人弁護士

岡崎秀太郎

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の土地のうち別紙図面チハニトチを順次直線で結んだ範囲内の土地に設置してある棚等の工作物を撤去して右土地部分を明渡せ。

二  原告と被告との間において、別紙物件目録記載の土地のうち別紙図面リヌルヲリを順次直線で結んだ部分の土地に設置されている墓石は、原告の所有であることを確認する。

三  被告は、原告に対し、金一一七万円及びこれに対する昭和五九年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告のその余の請求は棄却する。

五  訴訟費用は被告の負担とする。

六  この判決は、一及び三項につき、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文一、二及び五項同旨

2  被告は、原告に対し、右墓石の下に埋葬してある亡乙川武の遺骨を他に改葬せよ。

3  被告は、原告に対し、金二四七万円及びこれに対する昭和五九年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  この判決は、1項(主文一項)、2項及び4項につき、仮に執行することができる。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告による墓地使用権及び墓石所有権の承継

原告は、東京都新宿区愛住町二一番地所在の養国寺の境内地である別紙物件目録記載の土地(以下「本件境内」という。)のうち、別紙図面のイロハニホヘトチイを順次直線で結んだ範囲内の墓地(以下「本件墓地」という。)の物権的使用権を有しており、かつ、本件墓地内の別紙図面のリヌルヲリを順次直線で結んだ部分(以下「本件係争墓地」という。)に存する墓石(以下「本件墓石」という。)の所有権を有しているが、本件墓地の使用権及び本件墓石の所有権を取得した経緯は次のとおりである。

(一) 本件墓地は江戸時代に徳川幕府に仕えていた丙山家の墓地として、遅くとも西暦一七四六年頃には養国寺境内に存在していたものであり、もとは養国寺の門を入った正面の場所にあったが、その後、関東大震災により墓地が不足したため、丙山家の墓地も地積を縮小された形で、養国寺境内の前記の場所に移された。

(二) 本件墓地は、もと原告及び被告の祖父乙川六三郎(以下「亡六三郎」という。)の兄丙山全吉(以下「亡全吉」という。)がその使用権を有していたが、亡全吉は明治元年、討幕軍が江戸に入った際に、一族を率いて山梨県甲府市に移住し、その後亡全吉は丙山家一三代目の相続人及び祭祀承継者として、その長女である丙山喜代子(以下「亡喜代子」という。)を指名し、亡喜代子が本件墓地の使用権を取得した。

(三) 亡喜代子は、丙山家一三代目の家督相続人として、大正一三年頃、丙山家先祖の墓石(本件墓石)を本件墓地内の本件係争墓地部分に建立した。

(四) 亡喜代子は、丁村某と結婚し、大正一三年頃から昭和初期頃には、静岡県三島市に居住していたが、老齢(当時五〇歳位)に達していたことでもあり、遠隔地にある本件墓地の管理供養が次第に困難になると考え、大正一三年頃から昭和初期のころに、丙山家の血縁者であり、従兄弟である原告の父乙川仙之助(以下「亡仙之助」という。)に本件墓地の管理供養を依頼し、亡仙之助に本件墓地の使用権、本件墓石の使用権を含む丙山家の祭祀財産を譲渡し、以来仙之助が本件墓地を管理して来た。

(五) 亡仙之助の長女である原告は、昭和二三年一一月一日、甲野芳太郎(以下「芳太郎」という。)と結婚したが、その際、亡仙之助は原告夫婦に対し、仙之助夫婦の老後の面倒をみることを要請するとともに、亡仙之助の亡父六三郎の実家である丙山家一三代目相続人亡喜代子から、本件墓地及び墓石を含む丙山家祭祀財産の譲渡を受けた経緯を説明し、亡仙之助死亡後は原告らが丙山家祭祀財産を承継して本件墓地の管理と先祖の供養を継続してもらいたい旨を依頼し、原告夫婦はこれを承諾した。

(六) 亡仙之助は、昭和五五年三月一四日死亡し、その長女である原告が、相続により、亡仙之助から、本件墓地使用権及び本件墓石所有権を含む丙山家祭祀財産を承継取得した。

2  被告の不法行為

(一) 本件墓石には、もともと上台石に横に丙山という文字が、さお石の前面には丙山家の家紋「七つの打出の小槌」と「先祖累代の墓」という文字が縦に刻まれ、さお石の側面には、丙山万之助・丙山芳夫・丁村喜代子等の文字が刻まれていた。

(二) しかし、被告は、昭和五八年七月頃から同年秋頃にかけて、本件墓石の所有者である原告に無断で、訴外有限会社野口石材店に依頼して、右墓石を搬出し、右墓石に刻まれていた丙山家の文字等を削り取ってその表側・裏側・左右側面を削り直し、上台石の前面に「乙川家」、石塔の前面及び側面に乙川家の家紋及び「先祖累代の墓」等の文字を刻み込んだ。

(三) 被告は、右のように本件墓石を削ってこれに新たに「乙川家」等の文字を刻み込み、これを前記本件係争墓地内に置き、別紙図面チハニトチを順次直線で結んだ線上に外柵を設け、本件墓石の下に設置してある骨壺に被告の亡父乙川武(以下「亡武」という。)の遺骨を入れた。

(四) 右(二)、(三)に記載した行為により、被告は、原告の本件係争墓地の使用権及び本件墓地の所有権を違法に侵害し、また、右墓地及び墓石に対する原告の使用権及び所有権を争っている。

3  原告の損害

(一) 財産的損害

(1) 本件墓石の材質は、墓石としては最高の部類に属する本小松石で、上からみて、縦横三六センチメートル(一尺二寸角)の大きさであったが、前記2、(二)記載のとおり、被告が削ったため、墓石が小さくなり、上から見て、現在では縦横32.5センチメートルの大きさしかない。

(2) 原告は、被告が本件新墓石に刻み込んだ前記の「乙川家」等の文字を再度削り落とし、本件墓石に刻まれていた文字を復元し、丙山家の先祖の霊を慰め、亡父母の冥福を祈ることにしているが、被告が刻み込んだ右「乙川家」等の文字を削り落とした場合には、本件墓石は、さらに縦横29.5センチーメトル(九寸角)の大きさに縮小する。

(3) 本小松石による墓石の価額は、一尺二寸角の大きさの石材で、現在金一五〇万円であり、九寸角の大きさの石材で九三万円である。

結局、被告の前記2、(二)記載の不法行為(本件墓石を削ったこと)により、原告が所有していた本件墓石が小さくなってしまい、これに旧状態の文字を復元するにはさらに小さくなるため、右のとおり墓石が小さくなることにより原告が被る損害は、従前の本件墓石と被告が削った後の本件墓石の大きさの価額差である金五七万円をもって相当とする。

(4) また、原告が本件墓石の復元をするには、研磨加工賃等少なくとも四〇万円の費用が必要である。

(5) よって、原告は、被告の前記2、(二)の不法行為により、右(3)、(4)の損害金合計金九七万円の財産的損害を被った。

(二) 精神的損害

原告は亡仙之助から丙山家先祖の供養とその墓地の管理を託され、丙山家の祭祀財産の承継者として丙山家先祖及び亡父の供養と丙山家墓地(本件墓地及び墓石)の管理に当たってきたものであるところ、被告の前記不法行為により、原告の祖先及び亡父に対する崇拝・敬慕という宗教的感情を著しく侵害されたものであり、その被った精神的苦痛を慰謝するためには少なくとも金一五〇万円慰謝料をもって償うのが相当である。

4  よって、原告は被告に対し、本件墓地の使用権に基づく物権的効力たる妨害排除請求権(原告の有する本件墓地の使用権は江戸時代から慣習的に養国寺に対して有していた永代的使用権であり、このような民法施行以前から存在する墓地使用権は物権もしくは物権に準ずる権利としてその物権的効力に基づき対世的支配権たる妨害排除請求権を有するものと解すべきである。)の行使により、別紙物件目録記載の土地のうち別紙図面チハニトチを順次直線で結んだ範囲内の土地に設置してある柵等の工作物を撤去して右土地部分の明渡し求めるとともに右墓石の下に埋葬してある被告の亡父武の遺骨を他に改葬するよう求め、また、別紙物件目録記載の土地のうち別紙図面リヌルヲリを順次直線で結んだ部分の土地に設置されている墓石が、原告の所有であることの確認を求め、さらに、不法行為に基づく財産的及び精神的損害の賠償として金二四七万円及びこれに対する被告の不法行為がなされた後である昭和五九年一月一日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1冒頭の事実中、本件墓地及び本件墓石が同記載のとおり存在することは認め、被告がその使用権又は所有権を承継取得したとの事実は否認する。

請求原因1(一)ないし(六)の事実中、本件墓地が丙山家の墓地であったこと、亡全吉が右墓地の使用権を有し、同人がもと甲府市に居住していたこと、亡喜代子が亡全吉から丙山家第一三代目として本件墓地を含む祭祀用財産を承継したことは認め、その余の事実は否認ないし争う。

2  請求原因2の(二)の事実中、被告が本件墓石に原告主張のような加工を施した事実は認め、その余の請求原因2の事実は否認ないし争う。

3  請求原因3、4の主張はいずれも争う。

三  被告の主張

1  亡喜代子は、婚姻に祭し、本件墓地を含む丙山家の家督を訴外丙山庄三郎に譲り、その後、明治一三年七月一二日に右庄三郎が死亡すると、同人の妻丙山きく(以下「丙山きく」と表示する。)が丙山家の家督を相続した。

2  丙山きくは明治二二年、甲府市から東京都日本橋区に転籍し、明治三三年八月一六日前記亡六三郎の次男乙川万之助(以下「亡万之助」という。)を養子とした。丙山きくは大正一五年八月二三日死亡し、亡万之助が本件墓地使用権等の祭祀財産を含むきくの家督を相続した。

3  亡万之助は昭和二〇年一月一二日死亡し、亡万之助の子丙山芳夫もそれより前の昭和一九年六月一日に戦死していたため、丙山家は絶家となった。亡万之助の葬儀は亡仙之助及び被告の姉そのが行ったが、その際一人者の亡万之助の所有していた丙山家の系図、太刀等を持ち帰り、これを所持するようになった。

4  亡六三郎は、もともと丙山家の出であったが、乙川家に養子に入ったものであり、同人が大正元年九月二六日死亡すると亡武が家督を相続し、丙山家の縁者であった亡六三郎を、養国寺の承諾を得て本件墓地に合祀し、以来本件墓地は丙山、乙川両家で使用管理し、先祖の供養、盆暮れ、彼岸等の法事は両家で行ってきたものである。その後、万之助死亡により丙山家は絶家となり、乙川家において本件墓地の管理、先祖の供養等を行ってきたが、昭和五八年三月の被告の亡父武の五〇回忌、亡母キヨの三三回忌を機に、養国寺住職井上哲哉の勧めにより、本件墓石を研磨加工し、養国寺の承諾の許に乙川家で唯一現存する原告が本件墓地の使用権及び本件墓石の所有権を承継取得したのである。

5  仮に、被告が本件墓地及び本件墓石を承継したことが認められないとしても、被告は、亡万之助の死亡した昭和二〇年一月一二日から本件墓地の使用権及び本件墓石の所有権を管理占有してきたものであり、右管理占有を開始した後満一〇年を経過した昭和三〇年一月一一日の経過をもって本件墓地の使用権及び本件墓石の所有権を時効取得したものである。

四  被告の主張に対する認否

いずれも否認する。

第三  証拠<省略>

理由

一被告及び原告の身分関係

被告、原告及び本件関係者の身分関係は別紙身分関係図記載のとおりである(<証拠>)。

二本件墓地の使用権及び本件墓石の所有権の承継

1  本件墓地が現在、東京都新宿区愛住町二一番地所在の養国寺の境内のうち別紙図面のイロハニホヘトチイを順次直線で結んだ範囲内の墓地に存し、本件墓石が同図面のリヌルヲリを順次直線で結んだ部分に存することは当事者間に争いがない。

2  また、本件墓地が江戸時代に徳川家に仕えていた丙山家の墓地であり、丙山家一三代目亡全吉が丙山家の当主として丙山家墓地の使用権を有していたが、明治元年に討幕軍が江戸に入った際に、亡全吉は山梨県甲府市に移住したこと、亡全吉はその後亡喜代子に家督を譲り、同女が丙山家一三代目として丙山家の祭祀用財産と共に丙山家の墓地の使用権を承継したこと、丙山家墓地はもとは養国寺山門付近にあり、供養塔一基、墓一七基が置かれていたが関東大震災後の大正一三年頃には、養国寺の都合で丙山家の墓地は現在の場所に移動整理され、墓は五基に減ったこと等の事実を認めることができる(<証拠>及び弁論の全趣旨。なお、右事実のうち、本件墓地が丙山家の墓地であったこと、亡全吉がもと本件墓地の使用権を有し、同人が甲府市に居住していたこと、亡喜代子が亡全吉から丙山家第一三代目として本件墓地を含む祭祀用財産を承継したことは当事者間に争いがない。)。

3  一方、本件墓石は、亡喜代子により大正一三年に建立されたものであり、墓のさお石正面には「先祖累代の墓」、上台石正面には「丙山」と刻字されていたこと、その後、本件墓石は昭和五八年七月に被告が持ち出すまでは、本件係争墓地部分に存在したことが認められる(<証拠>)。

4  ところで、原告は、本件墓地使用権及び本件墓石は、原告の亡父仙之助が大正一三年頃から昭和初期の頃に丙山家一三代目であった亡喜代子から譲り受けたものであり、右仙之助の死亡により同人が祭祀用財産の承継者と指定していた原告がこれを承継したのであると主張するので、以下この点について検討する。

(一)  まず、亡仙之助が亡喜代子から本件墓地の使用権等を譲り受けたか否かにつき検討するに、<証拠>中には、「原告と甲野芳太郎が昭和二三年に結婚する際、亡父仙之助から本件墓地の話を聞かされた。その際、亡仙之助は、亡喜代子が大正一三、四年頃、静岡県三島市に転居するにあたって、同女から東京まで供養に通うのが大変なので本件墓地の使用権及び本件墓石、系譜、家の図面、大小の太刀、短刀等の祭祀財産を仙之助に譲るから、丙山家の先祖の供養と墓地の管理をしてほしいと頼まれこれを承諾したこと、亡喜代子からは、丙山家の家紋を必ず用いること、家紋の由来を伝承すること等を依頼されたと原告らに伝えた。」旨の前記原告の主張に副う部分が存する。

右供述及び証言はいずれも伝聞供述ではあるが、

(1) 原告が祭祀用財産である系譜、家の図面、小刀、短刀を現在所持していること<証拠>、

(2) 原告は丙山家の家紋である七つの小槌の由来につき説明できるのに(<証拠>)、被告らはその説明ができないこと(<証拠>)、

(3) 昭和一九年の被告の結婚式の写真(<証拠>)によると亡仙之助夫婦のみが丙山家の家紋についた紋付を着用していること、

等の事実によってその供述内容の裏付けが十分なされていることが認められ、その信憑性は極めて高いというべきである。

そうすると、<証拠>によれば、亡仙之助は亡喜代子から本件墓地使用権及び本件墓石の所有権を承継取得したものと認めるのが相当である。

(二)  これに対して、被告は、本件墓地の使用権及び本件墓石の所有権は、亡喜代子が家督と共に丙山庄三郎に譲り、その後庄三郎が死亡すると、同人の妻丙山きくが丙山家の家督を相続し、きく死亡後はその養子であった亡万之助が本件墓地使用権等の祭祀財産を含むきくの家督を相続したと主張し、被告本人尋問の結果中には、「亡喜代子は嫁に行く時に、家督を丙山庄三郎に譲り、それを亡きくが承継し、さらに亡万之助が承継した。」旨の右被告の主張に副う供述部分が存する。また、証人乙川その(以下「乙川その」と表示する。)は、「万之助の葬儀を出したときに、仙之助が万之助のところにあった系譜等の丙山家の祭祀財産を持ち帰った。」旨証言し、被告本人も、「万之助が死亡したときに、遺品の中から系譜や刀等の祭祀財産は出てきたので、仙之助がそれらを持ち帰ったと乙川そのから聞いている。」旨の前記被告の主張を裏付けるかのような供述をする。

しかしながら、亡喜代子が家督を丙山庄三郎に譲ったとの被告の供述は、亡喜代子がその後何年も経過した後である大正二年に亡全吉の墓を、さらに大正一三年に本件墓石をそれぞれ本件墓地内に建立した事実(<証拠>によって認める。)と明らかに矛盾しており、この点に照らすと、前記被告本人尋問の結果は不自然であり、たやすく採用できない。

また、乙川そのは、原告が昭和六〇年八月一〇日に同女に電話をして、亡仙之助が亡万之助のところから系譜や太刀を持っていったことがあるのかどうかについて確認した際には、「亡万之助の死亡したときに亡仙之助が系譜や太刀を持っていくところは見ていない。」と述べていたことが認められ(<証拠>)、これと対比すると仙之助が亡万之助のところから系譜や太刀を持っていったと述べる前記乙川そのの証言及び原告本人尋問の結果は採用できない。

さらに、被告は、亡万之助が死亡した昭和二〇年一月一二日から本件墓地を占有管理してきたので、満一〇年を経過した時点で本件墓地の使用権及び本件墓石の所有権を時効取得したとも主張するが、亡万之助死亡後被告が本件墓地を占有管理してきた事実を認めるに足る証拠はなく、被告の右主張も採用できない。

(三)  次に、原告が仙之助から、本件墓地の使用権及び本件墓石の所有権を譲り受けたか否かにつき検討する。

<証拠>によると、亡仙之助は原告らが昭和二三年一一月に結婚するに際し、仙之助亡き後は、原告らが丙山家の墓地の管理供養を続けて貰いたい旨依頼し、原告らがこれを承諾したこと、仙之助死亡後は原告が丙山家の祭祀財産を承継し、丙山以外の先祖の供養していたことが認められ、右事実に照らせば、丙山家の祭祀財産としての本件墓地の使用権及び本件墓石の所有権は、原告が被相続人亡仙之助の指定に従って祖先の祭祀を主宰すべき者としてこれを承継したものと認めるのが相当である。

もっとも、養国寺住職井上哲哉作成の証明書(<証拠>)には、亡仙之助が同人と妻さくの墓を本件墓地内に建立する時に、丙山家、乙川家の祭祀使用につき、自分の死後被告に一切を任せるとの申し入れがあったため、養国寺として建立を承諾した旨の記載があり、また右井上哲哉の証言中にも、「亡仙之助が夫婦の墓を本件墓地に建立する際、右仙之助が被告に相談に行き、被告しか面倒を見る者がいないということで墓を建てることを認めた。」旨の右<証拠>と似たような内容の証言部分があり、右によれば亡仙之助が生前に丙山家の祭祀財産である本件墓地の使用権等を被告に譲ったかのように認められないわけではない。しかしながら、一方において、右井上証人は、被告が本件墓石を削り直すについて、亡仙之助の遺族の承諾を得るように言ったと証言し、原告らが本件墓石や本件墓石につき権限を有していることを前提とした内容の証言をしたこと、被告自身も仙之助から本件墓地の使用権等を譲り受けたなどとは供述しておらず(<証拠>)、さらに、本件墓石を削り直す際に、原告の承諾を得ようとしたが不在だったと原告らが本件墓石や本件墓石につき権限を有していることを前提とする供述しており、これらの点に照らせば、<証拠>によって、本件墓地の使用権及び本件墓石の所有権を被告に譲渡されたものと認めることはできないというべきである。

三被告の不法行為

<証拠>並びに弁論の全趣旨によると、本件墓石には、もと上台石に横に「丙山」という文字が、さお石の前面には丙山家の家紋「七つの打出の小槌」と「先祖累代の墓」という文字が縦に刻まれ、さお石の側面には、丙山万之助・丙山芳夫・丁村喜代子等の文字が刻まれていたが、被告が、昭和五八年七月頃から同年秋頃にかけて、本件墓石の所有者である原告に無断で、訴外有限会社野口石材店に依頼して、右墓石を搬出し、右墓石に刻まれていた丙山家の文字等を削り取ってその表側・裏側・左右側面を削り直し、上台石の前面に「乙川家」、石塔の前面及び側面に乙川家の家紋及び「先祖累代の墓」等の文字を刻み込んだこと、被告が、右のように本件墓石を削ってこれに新たに「乙川家」等の文字を刻み込み、これを前記本件係争墓地内に置き、別紙図面チハニトチを順次直線で結んだ線上に外柵を設けたこと等の事実を認めることができる。

別紙身分関係図

なお、被告が本件墓石の下に被告の亡父武の遺骨を入れた骨壺を埋葬した事実を認めるに足る証拠はない。

以上によれば、被告は右一連の行為により、原告の本件係争墓地の使用権及び本件墓地の所有権を違法に侵害したものというべきである。

四原告の損害

(一)  財産的損害

<証拠>によると、本件墓石の材質は、墓石としては最高の部類に属する本小松石で、被告が昭和五八年に搬出して削り直す以前には一尺二寸角の大きさがあり、その価額は現在の時価で金一五〇万円程度であったこと、現在は被告が削ったため、本件墓石は一回り小さくなっており、原告において今後、被告が本件新墓石に刻み込んだ前記の「乙川家」等の文字を再度削り落とし、本件墓石に刻まれていた文字を復元し、丙山家の先祖の霊を供養するためには、本件墓石は、さらに小さくなり、九寸角の大きさとなってしまい、その価額は現在の時価で金九三万円程度であることが認められる。

右によれば、原告は、本件墓石が小さくなったことにより、以前の本件墓石の価額金一五〇万円と原告が再度削り直したときの本件墓石の価額九三万円との価額差である金五七万円の損害を被ったものというべきである。

また、前記各証拠及び弁論の全趣旨によると、原告が本件墓石の復元をするには、研磨加工賃、搬出費等少なくとも金四〇万円の費用が必要であると認められる。

右によれば、原告が、被告の不法行為により被った財産的損害は合計金九七万円となる。

(二)  精神的損害

前記のとおり、原告は亡仙之助から丙山家先祖の供養とその墓地の管理を託され、丙山家の祭祀財産の承継者として丙山家先祖及び亡父の供養と丙山家墓地(本件墓地及び墓石)の管理に当たってきたものであるところ、被告の前記不法行為により、原告の祖先及び亡父に対する崇拝・敬慕という宗教的感情を著しく侵害されたものであり、その被った精神的苦痛を慰謝するためには少なくとも金二〇万円の慰謝料をもって償うのが相当である。

五ところで、原告の本件墓地使用権は、江戸時代から養国寺境内に設置された墳墓であり、前記のとおり大正年間にその場所を移動、整理された事実があるとはいえ、民法施行以前から継続する固定的、永続的な特殊の使用権であるものと認められる。そして、このような墓地使用権については、その永続性や墳墓に対する尊厳性を維持するために、これが第三者により侵害されたときには、慣習法上物権に準ずるものとして、その排除を求めるための権利(妨害排除請求権)が認められているものと解するのが相当である。

このように解するときは、原告は、本件墓地の使用権に基づく妨害排除請求権を行使して、被告が不法に設置した別紙図面チハニトチを順次直線で結んだ線上の外柵等の工作物を撤去して、その土地部分の明渡しを求めることができると解すべきである。

六また、被告が、原告の本件墓石の所有権を争っていることは、弁論の全趣旨に照らして明らかである。

七結論

以上によれば、原告の請求は、被告に対し、別紙物件目録記載の土地のうち別紙図面チハニトチを順次直線で結んだ範囲内の土地に設置してある柵等の工作物を撤去して右土地部分の明渡しを求め、原告と被告との間において、別紙物件目録記載の土地のうち別紙図面リヌルヲリを順次直線で結んだ部分の土地に設置されている墓石が、原告の所有であることの確認を求め、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として金一一七万円及びこれに対する不法行為の日以降である昭和五九年一月一日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるから、これらを認容し、その余の請求は理由がないからこれらをいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官小林崇)

別紙物件目録<省略>

別紙丙山家墓地平面図<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例